名古屋地方裁判所 昭和61年(ワ)1584号 判決 1991年3月04日
原告
伊藤智美
同
伊藤博
右法定代理人親権者母
伊藤智美
右原告ら訴訟代理人弁護士
加藤猛
被告
医療法人愛生会
右代表者理事長
石黒道彦
右被告訴訟代理人弁護士
太田博之
同
後藤昭樹
同
立岡亘
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告伊藤智美及び同伊藤博に対し、各二〇〇〇万円及び右各金員に対する昭和六〇年一一月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、原告らが、左記医療事故の発生を理由に、被告に対し民法四一五条又は七一五条一項により損害賠償請求をする事案である。
一争いのない事実
1 訴外亡伊藤嘉則(以下「嘉則」という。)は、昭和六〇年一一月一五日深夜に交通事故に遭い、被告の開設する愛生会上飯田第一病院(以下「被告病院」という。)に搬入され、その際被告に雇用されて同病院で当直勤務に当たっていた河辺由憲、七野博史両医師を介して被告と診療契約を締結した。
2 その際、右医師らは、嘉則の鼻出血に対し鼻に脱脂綿を詰め、数本の注射を打ち、頭部レントゲン写真を撮影せずに同人を帰宅させた。嘉則が一旦帰宅した後、嘉則の家族らから被告病院に電話があり、家族らの希望により嘉則を被告病院に入院させた。同日午前七時一〇分ころ、嘉則は容体が急変したため、被告病院では嘉則にCTスキャン検査をして医療法人橘会東名脳神経外科(以下「東名脳神経外科」という。)に転送したが、嘉則は同病院にて死亡した。
二原告らの主張
1 当事者
原告伊藤智美(以下「原告智美」という。)は本件医療事故により死亡した嘉則の妻、原告伊藤博(以下「原告博」という。)は嘉則の子である。
2 交通事故
嘉則は、昭和六〇年一一月一五日午前〇時三五分ころ、名古屋市北区安井四―一八―二五先路上において、駐車中の自己車両に乗車するためドアを開けようとしていたところを訴外安里幸秀(以下「安里」という。)運転の普通乗用自動車に跳ねとばされ、路上に転倒させられるという交通事故に遭った。
3 嘉則の症状及びその診療経過
(一) 被告病院で当直勤務をしていた河辺、七野両医師は、嘉則が鼻から出血し、口から血を吐き、頭痛を強く訴え、また原告らにおいて事故の状況を説明するも、嘉則の傷病名を単なる鼻出血にすぎないと判断し、鼻に止血用の脱脂綿を詰め、数本の注射を打った程度で、レントゲン撮影も撮らず、嘉則を帰宅させた。
(二) 帰宅した後も、嘉則の状況は変わらず、鼻から出血したり、口から吐血する等したため、原告らにおいて被告病院に再度連絡し、嘉則は救急車にて被告病院に入院した。
(三) 被告病院は嘉則の入院後も、レントゲン写真やCT写真を撮らず点滴をなしていたが、一五日午前七時三〇分ころ、嘉則の容体が急変したため、この時点になってようやく頭部CT写真を撮ったところ、既に被告病院では処置不可能な状態になっていた。そこで嘉則は東名脳神経外科に転送され、同病院で緊急手術が行われたが、四日後の一一月一九日午後一〇時二二分、同病院において直接死因急性硬膜外血腫、頭蓋骨骨折により死亡した。
4 責任原因
(一) 河辺医師らとしては、嘉則が車両に跳ねとばされ、路上に転倒したとの事故状況の説明を受け、かつ、嘉則の左額に開放創があり、頭痛を訴え、鼻から出血している状況を見ているのであるから、救急車で搬入された際、頭部外傷を疑い、直ちに入院させるとともに、レントゲン写真撮影をなす等、必要な検査・診察をして傷病を正確に把握し、被告病院において必要な治療が可能であればこれをなし、不能と判断した場合には必要な治療が可能な病院に転送すべきであった。
そうすれば、急性硬膜外血腫は受傷後早い時期に血腫除去手術がなされることが唯一の救命方法であり、それがなされれば予後も良好であるから、嘉則を救命しえた。
しかるに、被告病院の医師らは、単なる鼻出血と速断してレントゲン写真撮影すらなさず、そのため正確な傷病の把握も必要な治療も手遅れとなり、嘉則を死亡するに至らせたもので、右は河辺医師らの過失による違法な行為というべきである。
(二) 右のとおり、被告病院の履行補助者である河辺医師らにおいて診療契約上の債務の本旨に従った履行を怠ったものであるから、被告病院は右債務不履行によって生じた損害につき民法四一五条による損害責任がある。
また、被告病院は、河辺医師らの使用者であるから、同医師らの過失によって生じた損害につき民法七一五条一項による賠償責任もある。
5 損害
(一) 嘉則の損害
(1) 治療費 一三五万五八八〇円
① 被告病院分 一七万五九九〇円
② 東名脳神経外科分 一一七万九八九〇円
(2) 付添費 二万五〇〇〇円
一日当たり五〇〇〇円で五日分
(3) 入院雑費 六〇〇〇円
一日当たり一二〇〇円で五日分
(4) 入院慰藉料 六万円
(5) 逸失利益 四四九一万七七四〇円
嘉則は、死亡当時満二九歳で、有限会社シバタ産業に勤務し、事故前三か月間の一か月当たりの平均給与は二五万五〇〇〇円であったので、就労可能な六七歳までの逸失利益を生活費割合を三〇パーセントとして算定すると、右金額となる。
255,000×12×(1−0.3)×20.97=44,917,740
(6) 死亡に対する慰藉料 一一〇〇万円
(二) 相続
原告らは、右損害合計五七三六万四六二〇円を、その各二分の一である二八六八万二三一〇円の割合で相続により承継した。
(三) 原告智美固有の損害
(1) 葬儀費 一〇〇万円
(2) 慰藉料 五〇〇万円
(3) 弁護士費用 二三四万五〇〇〇円
(四) 原告博固有の損害
慰藉料 五〇〇万円
(五) 損害の填補
原告らは、自賠責保険から二三四六万六八七四円を受領したので、これを原告智美の損害につき一二二三万三四三七円、原告博の損害につき一一二三万三四三七円充当し、残額のうちから原告智美及び同博につきいずれも二〇〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年一一月一六日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
三被告の主張
1 嘉則の被告病院への最初の来院時、被告病院の医師らがレントゲン写真撮影、CTスキャン検査をなさずに嘉則を帰宅させたことは認める。嘉則は泥酔していて治療しようとしても暴れるので、治療は極めて困難であったが、被告病院の医師らは可能な限りの診察及び治療を行った。その結果、嘉則に何らの神経学的異常が認められなかったので、同人の家族に対し、自宅で様子を見て何らかの異常があれば直ちに来院するよう指示したうえで同人を帰宅させた。嘉則は頭痛を訴えていたことはないし、原告らの主張する諸症状はいずれも硬膜外血腫を疑わせるものではなく、被告病院の医師らとしては嘉則の症状からしてCTスキャン検査やレントゲン写真撮影は必要ないと判断したものである。
2 嘉則の被告病院への再来院時、被告病院の医師らが嘉則を眠るに任せておいたことも認める。このときも、同人には何らの神経学的異常が認められなかったため、CTスキャン検査やレントゲン写真撮影は必要ないと判断し、安静に務め、このような措置をとったものである。
3 一五日午前七時一〇分、嘉則の容体が急変したので、被告病院の医師らは必要な検査・処置を施したうえ、嘉則を東名脳神経外科に転送した。このように、被告病院の医師らはその都度適切な措置をとってきたもので、何らの過失はない。
4 嘉則の症状は交通事故による急激な頭蓋内出血で、仮に最初の来院時に入院させて開頭手術を受けても救命の可能性はなく、被告病院の医師らの行為と嘉則の死亡との間に因果関係はない。
第三当裁判所の判断
一当事者
<証拠略>によれば、原告智美が嘉則の妻、原告博が嘉則の子であることが認められる。
二<証拠略>及び前記当事者間に争いのない事実によれば、以下の事実が認められる。
1 嘉則は、昭和六〇年一一月一四日午後八時三〇分ころから翌一五日午前〇時三五分ころまでの間、友人である木原正明(以下「木原」という。)と居酒屋及びスナックで日本酒二ないし四合を飲んだ。飲酒後の嘉則は、足がふらついたり、ろれつが回らないような状態ではなかった。午前〇時三五分ころ、スナックを出た嘉則が駐車してあった自己所有の車両に乗車するため名古屋市北区安井四―一八―二五先の路上を横断しようとしたところ、飲酒した安里の運転する普通乗用車が時速約八〇キロメートルで走行してきて嘉則を跳ね飛ばし、嘉則は衝突地点から約25.8メートル先の路上に転倒した。嘉則は、転倒した後、うめき声を発していた。
2 被告病院では、河辺、七野両医師が当直勤務をしており、河辺医師が救急隊からの電話連絡を受けた。河辺医師は、「酔っ払い同士の交通事故で患者二人お願いします。二人とも酔っ払っています。」との依頼を受け、患者両名に意識があると聞き、脳神経外科のない被告病院でも治療可能であると判断して、来院を承諾した。河辺医師は内科医であり、七野医師は当時研修医で、日中は外科、夜間は内科の研修中であった。
3 嘉則は、安里と共に救急車で右一五日午前一時ころ被告病院へ搬入された。被告病院への来院時、嘉則は徒歩で同院へ入って来た。河辺医師らは、救急隊員から、事故状況については、「酔って道路を横断して車に乗ろうとして走行中の乗用車に衝突された。」と聞き、また嘉則には当初意識障害がなかったらしいと聞いた。しかし、嘉則はもちろん、安里及び嘉則に付き添ってきた木原も酔っていたうえ、安里は事故を起こして自暴自棄になっており、木原は事故状況をよく見ていなかったため、関係者らから事故状況等について右以上の事実を聞き出すことはできなかった。
4 被告病院来院時の嘉則の状態は、鼻出血、前額部に開放創、右眉に皮下出血斑、口腔内に裂創、右頬に擦過創、右肩に挫創、右膝前面に擦過創等があり、頭痛を訴え、右肩挫創については自発痛及び圧痛が強く、鎖骨骨折等が疑われたが、右上肢の運動は可能であった。頭部については、七野医師が視診に加えて触診を行ったが、出血・裂創等は認められなかった。これらの傷害に対して、七野医師らは、前額部の開放創及び膝の擦過創を縫合し、鼻出血は粘膜性のものと考えられたので小綿球を一〇個詰める等の止血処置を行った。
5 右治療に際して、嘉則は泥酔状態にあったことから諸処置に対して激しく暴れたため、嘉則に対する諸処置は、医師二名、警察官二名、救急隊員二名、看護婦二名で同人をおさえつけてかろうじて行われたものであった。七野医師らは、暴れる嘉則を鎮静させるために鎮静効果のあるアタラックスP五〇ミリグラム(通常の成人に対する使用量)を注射し、その後さらに二五ミリグラムを二回追加投与した。
6 七野医師らは、嘉則の傷害が交通事故によるものであったため、頭部傷害の可能性も念頭に置いたが、前記のように救急隊員によれば、事故直後の嘉則に意識障害が見られなかったこと、来院後の意識レベルについては泥酔状態のために評価不能であったが、頭部外傷の指標となる対光反射や四肢運動には異常が認められず、他に留意すべき神経学的徴候も見られなかったため、頭部のレントゲン写真撮影やCTスキャン検査は実施しなかった。
7 嘉則に対する処置が殆ど終了したころ、嘉則の家族ら(原告智美、原告博及び原告智美の父)が警察から連絡を受けて被告病院に到着した。七野医師らは、家族らに対して事情を説明し、神経学的な異常所見がないこと、泥酔状態で暴れるため、これ以上の処置がとれないことを伝え、一旦自宅で様子を見て何か異常があれば直ちに来院するように指示した。家族らは強く入院を希望したが、結局、嘉則は、午前二時五〇分ころ、家族に付き添われて帰宅した。なお、右帰宅時の嘉則はアタラックスPの効果によりふらつくような状態であった。
8 帰宅後、家族らが嘉則を寝かせようとすると、嘉則は嘔吐し、吐物に血液が混入していたため、午前三時一五分ころ、家族らは被告病院に連絡し、嘉則の入院を強く希望した。
9 嘉則は、午前三時三〇分ころ、救急車で再度被告病院へ来院し、七野医師らの診察を受けたが、嘉則の状態は初診時とあまり変わらず、意識レベルは依然泥酔状態のために評価不能であったが、四肢運動及び対光反射は正常で、瞳孔の左右不同はなく、バビンスキー反射はマイナスであった。七野医師らは、右診察の結果、入院が必要であるとは考えなかったが、家族らの強い希望があることも考慮して経過観察のため、入院措置をとった。
10 嘉則は、午前四時ころ、病棟に移されたが、依然、泥酔状態にあり、眠ったまま手足を激しく動かしており、血圧一三四〜七〇、脈搏七八、呼吸は整、鼻出血は治っていた。
11 午前四時三〇分ころ、七野医師が、嘉則を回診したところ、呼吸困難はなく、体動は激しかったが、眠っている様子であった。そのため、同医師は、看護婦に対し、ベッドからの転落を防止するためベッド柵を設けて静かに眠らせるように指示した。
12 午前六時三〇分ころ、看護婦が見回った際、嘉則は、グーグーという大きないびきをかいて眠っている様子であり、脈搏九八、呼名反応や体動はなく、顔色は不良で顔面腫脹が見られる状態であった。
13 午前七時一〇分ころ、看護婦が、血液検査をするために嘉則の血液を採取していたところ、突然呼吸が早くなり、顔面蒼白、爪の色が不良となり、血圧は一二四〜七四であったが、対光反射はなく、瞳孔の不同が見られた。そこで、直ちに病室に赴いた七野医師が嘉則を診察したところ、呼吸困難の状態で、対光反射はなく、瞳孔は両眼とも中等度に散大していた。このころになって、七野医師らは嘉則の脳内の異常を疑うに至った。
14 午前七時四〇分ころ、嘉則は呼吸数三二ないし五〇で不規則であり、鼻腔内出血が原因と思われる口腔内血性が見られた。
15 午前七時五〇分ころ、被告病院の小松外科部長が嘉則を診察したが、呼吸困難が続き、昏睡状態であったため、気管切開を施行した。
16 午前九時、頭部CTスキャン検査が実施されたが、その結果、脳室の変形が見られ、右から左への脳の中心の変位が著明であって、硬膜外又は硬膜下の血腫と頭蓋骨骨折が認められた。そのため、被告病院の医師らは、早急な手術が必要であるが、今後の処置はもはや脳神経外科医のいない同院では不可能と判断し、脳外科専門病院である東名脳神経外科に連絡をとり、嘉則の受入の承諾を得たうえで、小松医師が家族らに事情を説明し、転送の承諾を得て、午前九時五〇分、七野医師と看護婦二名が付き添って嘉則を東名脳神経外科に転送した。
17 東名脳神経外科の医師小澤正敏(以下「小澤医師」という。)が嘉則を診察したところ、嘉則は既に除脳硬直(脳幹の重要な神経繊維が切れた場合と同様に、手足を突っ張らせる状態)を起こしており、半昏睡状態で、両方の瞳孔の散大があって対光反射が全く見られず、不正呼吸をしているという異常脳幹症状を呈していた。また、被告病院のCT写真及び東名脳神経外科で撮影したレントゲン写真からは頭蓋骨骨折及び硬膜外血腫が認められた。右診察の結果、同医師は、非常に救命の困難な症例と診断し、このまま放っておけば早急に死亡するが、血腫除去手術によって少しは回復しても、植物状態は避けられないとの見通しの下に、それでも手術を希望するかを、病状を説明したうえで家族らに尋ねた。これに対し、家族らは手術することを強く希望したので、同日午前一一時三八分、同医師は手術を開始した。
18 小澤医師が開頭手術をしたところ、前頭部に頭蓋骨骨折があり、頭蓋骨の中を走る板間静脈からの出血及び右骨折によって傷ついた硬膜表面の三か所ほどの部位から動脈性の新鮮な出血があり、この出血が手拳大の血腫を形成して脳幹を強く圧迫していた。そのため、同医師は、出血部位の血管を電気メスで焼いて止血し、今後出血しても血液がたまって脳を圧迫することのないよう、骨窓を開けたまま皮膚を被せて縫合し、手術は同日午後一時五八分終了した。同医師は、脳実質の部位までは切開して調べることはしなかったが、脳ヘルニアの進行の程度から見て、損傷は脳実質にまで及んでいると推測された。
右手術では、血腫を除去し、脳の圧迫を抑えることはできたものの、既に嘉則は非可逆的な状態に陥っていたため、もはや回復することなく、四日後の一一月一九日午後一〇時二二分、直接死因急性硬膜外血腫及び頭蓋骨骨折により死亡した。
以上の事実を認めることができる。証人七野は、嘉則は頭痛を訴えていたことはないと供述し、これに沿うように、乙一及び二(いずれも被告病院の診察録)、乙四(七野医師のメモ)、乙五のいずれにも頭痛の訴えの記載はない。これに対し、乙三の一の五枚目(東名脳神経外科の診療録)の現病歴欄には「頭痛あるため鎮静剤注射し、帰宅す(病院では妻の名を呼んだり、頭が痛いなど訴えた)」との記載があり、原告智美は嘉則が頭が痛いと訴えたと供述している。証人七野及び同小澤によれば、右乙三の一の五枚目の記載は、東名脳神経外科の池田看護婦が、転送されてきた嘉則に同行してきた者から聞き取りをした結果を記載したものであるところ、被告病院の七野医師は東名脳神経外科の看護婦に何らの説明をしていないことが認められるから、右現病歴欄の記載は被告病院と東名脳神経外科との看護婦間での申し送り事項であると推認される。したがって、これら事実よりすれば、嘉則は被告病院の医師らや看護婦らに対して頭痛を訴えていたのであるが、被告病院の医師らがこれを取り上げなかったものと認められ、この点に関する証人七野の供述は措信できない。
三急性硬膜外血腫について
<証拠略>によれば、以下の事実が認められる。
1 硬膜外血腫は、頭部に外力が加わって大小様々の血管系に損傷が起こり、頭蓋骨とその内側に接する硬膜との間に血液又は凝血塊がたまる病態であり、頭部外傷の一ないし三パーセントを占める。受傷機転の四〇パーセント以上が交通外傷である。硬膜外血腫においては、その八〇ないし九〇パーセントの割合で頭蓋骨骨折を合併しているとの報告もある。受傷後、血腫の徴候をあらわすまでの期間が七二時間以内のものは急性とされる。
2 硬膜外血腫を疑うべき症状としては、第一に意識障害発現又は悪化等の意識レベルの推移、第二に瞳孔の左右不同・散大等の眼症状、第三に運動麻痺、第四に血腫の増大とともに起こる血圧上昇や徐脈等のバイタルサインの変化、第五に頭痛及び嘔吐が挙げられる。
右意識レベルの変化は、まず意識障害が起こり、その後一旦通常のレベルまで意識を回復し(これを意識清明期という。)、その後再び意識障害が発現するという場合が典型的であるが、当初は意識障害が見られない例や、受傷時の意識障害からそのまま回復しない例等も見られる。また、頭痛は主として頭蓋内圧亢進によって生ずるもので、外傷性の事例では早い時期から起こるものである。
3 検査の方法としては頭部CTスキャン検査、頭部単純レントゲン写真撮影、脳血管造影検査等がある。右のうち、単純レントゲン写真では骨折線の存在を発見することはできるが、頭蓋骨骨折に硬膜外血腫が必ず合併するものではないうえ、単純レントゲン写真によって血腫の存在を明らかにすることはできないので、CTスキャン検査が最も有効な検査法である。これらの検査は、神経学的検査に引き続いて行うことが多い。
4 手術は、血腫による脳圧迫の除去を目的とする。本症は、早期診断を行って適切な時期に血腫の摘出を行えば救命する可能性があるが、放置すればまず死を免れないため、受傷後、血腫を除去するまでの時間をできるだけ短くすることが重要である。
5 頭部外傷の死因の大部分は、血腫等によって脳が圧迫されることにより惹き起こされるテント上切痕ヘルニア(脳が圧迫されて脳テント切痕から嵌入する。)又は大孔ヘルニア(同じく大孔から嵌入し、延髄にまで障害を与える。)であるとされており、前者から後者へと進行するのが普通である。ヘルニアになっても、非常に早い時期に手術をすれば可逆的であるが、非可逆的に進行すると昏睡状態に陥り、いずれ脳死状態になる。
6 頭部外傷で死亡する者の八五パーセントが二四時間以内に死亡しているとの報告があり、また、受傷後二四時間以内に緊急手術を要する事例は予後不良であるとされている。
四嘉則の救命の可能性について
以上の認定事実を踏まえ、まず嘉則の救命の可能性につき判断する。
前記三判示のように、頭部外傷で死亡する患者の殆どは二四時間以内に死亡しているうえ、受傷後二四時間以内に手術を要する事例は予後不良であって、きわめて救命が困難な症例であると認められる。
<証拠略>によれば、本例のように急激に出血するのは稀有な例に属すること、嘉則は症状の急変した午前七時一〇分の段階において、両方の瞳孔が散大して対光反射がなかったことからテント上切痕ヘルニアが相当程度進行していたことが推測できるのみならず、呼吸障害が見られたことから大孔ヘルニアの状態にまで至っていたことが推測されること、本例のように受傷後僅か約六時間で急激に右のような脳ヘルニアを来たすような劇症型の急性硬膜外血腫の事例では、仮に嘉則が最初に被告病院に来院した際に、頭部のレントゲン撮影及びCTスキャン検査が実施され、その結果、頭蓋内出血が発見されていたとしても、確実に救命しえたかは明らかでなく、脳神経外科に精通した医師と看護婦及び迅速に開頭術を行える病院体制があって初めて救命の可能性があったこと、仮に救命しえても植物状態程度の重度の神経障害を残す可能性を否定できないこと、以上の事実が認められる。
右に照らせば、脳神経外科がなく、しかも当直医二名しか待機していない深夜に嘉則を受け入れざるをえなかった被告病院にこのような治療体制を期待することは不可能であり、また、速やかに右のような治療体制を有する病院に転送され手術が行われていたとしても、嘉則を確実にかつ何らの後遺障害も残さずに救命しえたかは甚だ疑問というほかない。
したがって、受傷後、より早い時期に血腫除去手術がなされていれば、嘉則を確実にかつ何らの後遺障害も残さずに救命することが可能であったことを前提とする原告らの本訴請求は、既に右前提において失当である。
五以上判示したように、嘉則の救命可能性が確実に認められない以上、原告らが被告に対し嘉則の死亡を原因とする損害の賠償を求めることはできないと思料するが、所論に鑑み、嘉則に対する治療の各段階における被告病院の医師らの過失の有無につき検討する。
1 前記三の認定事実からすれば、硬膜外血腫の多くは交通外傷によるものであり、硬膜外血腫を惹き起こさなくても頭部を打撲すれば、重大な結果に至ることは見易き道理であるから、交通外傷を負った患者を受け取った医師としては、事故の状況等につき、患者や事情を知る周囲の者等から可能な限り事情を聴取し、その結果頭部を打った可能性があれば、直ちに患者の意識状態を調べ、瞳孔、対光反射、四肢の運動、知覚、バビンスキー反射等の神経学的症状を検査するほか、さらに進んで、必要に応じ頭部CTスキャン検査や単純レントゲン写真撮影を実施し、重大な症状の発見に努めるべきであると考えられる。
しかしながら他方、診察する医師としては、考えられる全ての病理上の原因を予測してこれに対処しなければならないものではなく、問診や検査の結果等から合理的に推測される原因に対する診療行為をなすことを求められているに止まるというべきである。
2 第一回来院時における被告病院の医師らの過失の有無
前記二認定のように、被告病院の医師らにおいては、嘉則を搬入させた際、救急隊員から「ぶつけられて飛ばされたらしい。」とは聞いていたものの、嘉則、木原及び安里のいずれからも事故状況に関し適切な説明を受けることができず、受傷時意識障害がなかった旨救急隊員から聞いており、また、嘉則の意識レベルは不明であり、四肢運動、対光反射及び知覚のいずれも異常がなく、頭部にも前額部の開放創以外は何らの外傷はなかったが、鼻出血があり、頭痛を訴えていた。
これらの事実並びに<証拠略>を総合すれば、以上のように考えることができる。
(一) まず、鼻出血は頭蓋内出血を疑わせる症状でない。これに対し頭痛は頭蓋内出血を疑わせる症状であるから、頭痛を訴えたことと前額部に創があることからいって、医師らが頭部のCTスキャン検査やレントゲン写真を撮影することが望ましかったと考えられる。しかしながら、頭痛(それがいつ発症したかを定めることは困難である。)や意識障害は飲酒によっても起こりうるものであることから、嘉則のように神経学的異常がない場合には、その原因が頭蓋内出血によるものか飲酒等の他の原因によるものか定めることは困難である。殊に、専門医である脳神経外科医と他の専門の医師との間には頭蓋内出血の診断能力にかなりの開きがあることを考慮すると、被告病院の河辺、七野両医師のように脳神経外科医でない医師に対し、右のような嘉則の状態に照らして、ぶつけられて飛ばされたらしいと聞いたことや不穏状態があることのみをもって頭蓋内出血を疑い、CTスキャン検査やレントゲン写真撮影をなすよう求めることは困難であるといわなければならない。
(二) しかも、前記二5認定のように、嘉則が被告病院に搬入された当初、同人は暴れたので、CTスキャン検査やレントゲン写真撮影をなすことは著しく困難であったと考えられる。加えて、<証拠略>によれば、患者の協力が期待できない状況下で仮に撮影を強行しても、とりわけ血腫の発見に有効であるが撮影に時間のかかるCTスキャンでは、患者が動くと撮影される線が重複したりして医師の正確な読影を妨げることになり、却って誤診を招く虞があること、これを防ぐためには患者に麻酔をかけて眠らせたうえでCTスキャン検査やレントゲン写真を撮影する等の方法もあるが、これは嘉則の胃に飲食物が入っているため吐物の誤嚥による窒息死の可能性があることが認められるので、この時点の嘉則の状態は、右の危険を犯してまでもCTスキャン検査やレントゲン写真撮影をなすべきであると断ずるまでには至らなかったというべきである。
もっとも、治療がほぼ終了し、嘉則が帰宅する直前の午前三時ころには前記二7認定のように、アタラックスPが効いて嘉則はおとなしくなっており、右に述べたほどCTスキャン検査やレントゲン写真撮影に困難を来す状況にはなかったと認められるが、撮影に嘉則の協力が期待できず、撮影中に嘉則が動く可能性がある点は変わっていないうえ、午前一時ころに被告病院に搬入されてからこの時点までに嘉則の状況に特段の変化がないのであるから、この段階において、被告病院の医師らに、頭蓋内出血を疑い、CTスキャン検査やレントゲン写真撮影をなすべき義務が発生すると考えることはできない。
(三) また、右に述べたように、嘉則が暴れて治療に協力しないという状況である以上、深夜であることもあり、他の患者に迷惑をかけることを恐れて、嘉則の状態を考慮したうえで、被告病院の医師らが、嘉則を一旦帰宅させて、何か容体に変化があったら連れてくるよう指示することは無理からぬものがあるというべきであり、嘉則を入院させたうえ経過観察をなすべき注意義務があったとは認め難い。
したがって、第一回来院時である午前一時ころの時点で、被告病院の医師らにおいて、嘉則の頭蓋内出血を疑い、CTスキャン検査やレントゲン写真撮影をなしたり、入院させたうえ経過観察すべき義務があったと認めることはできない。
3 第二回来院時における被告病院の医師らの過失の有無
前記二8及び9認定のように、一旦帰宅した嘉則は、自宅で血液(鼻血を嚥下したものと思われる。)の混じった嘔吐をしたため、家族がその旨被告病院に連絡し、救急車で被告病院に再度来院したが、このときも神経学的異常は認められなかった。前記三判示のように、嘔吐は頭蓋内出血を疑わせる症状の一つであるが、<証拠略>によれば、飲酒の影響によるものと判別することは困難であるから、嘔吐の事実があっても、右のように神経学的異常がない以上、CTスキャン検査やレントゲン写真撮影をすることが望ましいとはいえても、被告病院の医師らに直ちにこれらをなすべき義務が生ずるものと認めることはできない。したがって、これらをなさずに入院させて病室に寝かせておいた被告病院の措置は不相当とは認められない。
なお、午前四時三〇分の段階においては、前記二11認定のように嘉則の体動が激しかったが、証人七野及び前記二の認定事実によれば、嘉則は体動が激しいものの震えるような痙性のものではなかったこと、したがって、被告病院の医師らは、初診時嘉則が暴れたため、ともかく静かに寝かせておいて、状態にはっきりと変化があったら何らかの措置をとればよいと考えて嘉則をそのまま寝かせておいたものと認められるところ、嘔吐や意識障害についての原因の判別が困難であったことを考え併せると、午前四時三〇分という時間帯における救急医の判断としては無理からぬものがあったというべきである。
さらに、前記二12認定のように、午前六時三〇分の段階で看護婦の見回り時に、嘉則は呼び掛けにも答えない等、状態が悪化していると認められるが、<証拠略>によれば、睡眠中であることによる意識障害と脳内異常によるものとの判別は困難であるから、嘉則を寝かせておいたこともやむをえなかったと考えられる。
4 以上2及び3判示の各時点のいずれにおいても、被告病院の医師らの措置は不相当と認めることはできないから、同医師らに原告ら主張の過失が存するものとは認め難く、他に被告病院の医師らの過失を基礎づける事情も認められない。
六結論
以上判示したところにより、原告らの被告に対する請求は理由がない。
(裁判長裁判官寺本榮一 裁判官深見玲子 裁判官村越啓悦)